コンニャクについて




2023.03.06.






 近年、日本以外の国々でもこんにゃくを食べるようになってきたが、それもごく最近のことで、世界的に見てこんにゃくのような味もなければ栄養もないといった食品を好んで食べる国民は皆無に近い。
 古来から、ほんとうに食べるものが無かったが、こんにゃくだけは栽培も簡単で比較的簡単に手に入ったから、ということでもない。蒟蒻を作るのはとても大変だからだ。なにしろ蒟蒻芋は毒性が強いために、そのまま食べることは不可能。食用とするためには茹でてアルカリ処理を行うなどの毒抜き処理を行わなければならない。それで栄養がそこそこあるというのならまだしも、栄養など何もないのだ。現代のような飽食の世の中なら、ダイエットのためにと言うことがあるのだが、人類の歴史というのは飢えとの戦いでもあったので、なぜ、このような水分が殆どというような空腹を満たすには無意味な食べ物を日本人だけが食べ続けてきたのか。
 落語に、引っ越しの際に貧しいために食べるものにも事欠いていると言う状況下で、甲斐性の無い男が妻に向かってにょんにゃくを食べたいと言い出す場面がある。妻が「そんなお金がどこにある?」と問うのだが、ずいぶん前にまとまったお金を渡しただろうが、と言って居直る。そんな昔に受け取ったお金がいつまであると思っているの!と反撃を受けて返す言葉がなくなるのだが、男としては、お金がないのがわかっているので堂々とこんにゃくとは言えずに、にょんにゃくを、等とぼかした言い方をしているのだ。それにしても、引っ越しでおなかがすいたときに全くカロリーがないこんにゃくを食べたくなると言うのも奇妙な話だが、それほどまでに日本人には愛され続けてきた食べ物でもあるようなのだ。
 しかしながら、こんにゃくという漢字は蒟蒻と書き、これはどうみても中国語だ。所が、中国料理にこんにゃくを使ったものを見たことが無い。それなのに、さらに奇妙なのは、世界的なコンニャクの生産量は中国が圧倒的に多いのだという。中国で生産されたコンニャクは、芋もしくは粉砕した粉末状の形で流通していて、日本にも大量に輸入されているというが、中国人に蒟蒻を食べるかと聞いて、まず食べるという人はいない。
 作家の司馬遼太郎氏が中国に行った際に、このことを調べたという話がある。
「蒟蒻というのは、奇妙な食品で、成分の殆どが水で、何の栄養もなく、それ自体が持つ味もない。ともかく味噌田楽にせよ、煮込みおでんにせよ、正月の煮しめでも、駅の幕の内弁当でも、さらにすき焼きにおいても蒟蒻は脇役ながら味覚の階調を作るのに役立っている。
 ただし、いくら食っても身の養いにはならず、栄養学的には租借・嚥下の無駄というものだが、その無駄なものに味を付けて喜ぶあたりに、日本人の暮らしの底の何事かと結びつくものがあるかと思える。」
 司馬さんは、蒟蒻があまり好きでは無かったらしく、こんなばかばかしいものを喰って喜んでいる民族が他にあるだろうか。とまで言っている。
 司馬さんの言う栄養もカロリーも何もないことが、むしろ近年先進国では飽食の世の中になったことから、世界的に受け入れられ始めている。カロリーがないので、ダイエットには最適なのだ。欧米ではずいぶん前から肥満が大きな問題になっていたが、イタリア人がパスタを食べるのを止めるわけにはいかない。でも、パスタにそっくりに作られたこんにゃくならいくらでも食べられると言うことから特に外見を気にする女性に大変な人気になっているようなのだ。アメリカでも様々な形に加工されて売られているし、日本でもラーメンの麺を蒟蒻にするというのが人気だ。
 しかし、中国料理の店に行って、蒟蒻を使った料理はありますか、と聞いても皆かぶりを振る。でも、蒟蒻芋の生産は中国が世界一なのだ。おそらく、中国人自体は蒟蒻を食べることはないようなのだが、蒟蒻芋を作って日本に売れば儲かると言うことから作っているのだと思われる。
 司馬さんも中国人に蒟蒻料理のことを尋ねたようだが、誰もが「ない」と断定するか「中国人は蒟蒻を食べません」というか、もしくは「蒟蒻の料理なんて聞いたこともない」と言う返答ばかりだったようだ。
 要するに、「中国人は蒟蒻のような奇妙なもの。栄養にもならず、またタケノコのように消化の助けになるという効用もないものは食べないと言うことのようなのだが、困ったことに蒟蒻は漢語である。」
 我が国では古代から蒟蒻芋が栽培されてきたというのだが、
「古代が漢字渡来以前とすれば、この植物についての大和言葉が存在したはずだが、こんにちまでつたわっておらず、方言にも残っていないように思われる(方言に、コンギャクとかコンニャとかいうのがあるが、こんにゃくからの転訛であることは言うまでもない)やはり中国から来たと考える方が穏当であろう。
 もっとも蒟蒻という外来語が日本に根付く以前に、そのモノが日本に存在しなかったということは、断定できない。」
 司馬さんは、「コンニャクはサトイモ科である。その球根(蒟蒻玉)を掘って喰うと言うことがなかったかというと、何とも言えない。」と言っているが、コンニャク芋はそのままではあくが強くてとてもではないが食べられたものでは無かったはずだ。ただ、栃の実などのあくが強くてそのままでは到底食べることができないようなものを、昔の人は懸命に努力をしてあくを抜いて食べていたことから、蒟蒻芋があくが強いからと言って諦めるようなことはなかったのかも知れない。
 司馬さんによると、「コンニャクは中国から来たと言うことの証拠に、
 中国の「西晋(せいしん)時代(265-316)に、左思(さし)という優れた詩人がいた。
 左思の代表作に三都賦(さんとのふ)というものがあって、その三都賦のなかに蒟蒻がでているのである。

 其圃(そのほ・はたけ)ハ則チ蒟蒻、茱萸(しゅゆ・かわはじかみ)有り

 という。さらに注として、蒟蒻の植物としての特徴を述べ、かつ蜀人は蒟蒻の実の方は「蜜を以ツテ蔵シテコレヲ食ス」とし、地下の球茎の方は「頭ノ大イナルハ斗ノ如シ。其ノ肌ハ正ニ白ク」とのべ、

 灰汁ヲ以ツテ煮レバ則チ凝成ス。…蜀人。焉(これ)ヲ珍トス。

 とあって、四川人は少なくとも三国の蜀漢のころからこんにゃくを珍味として食っていたことになる。その食べ方については「苦酒ヲ以テ淹(ひた)シ、コレ食ス」という。苦酒というのは、醋(す)のことである。すにつけて蒟蒻を食うなど、三国の蜀漢時代から晋にかけての四川人は、まことに小気味良い味覚を持っていたと言っていい。」

 要するに、はるかな昔から中国の四川では食べられていたもので、今もごく僅かな人々に食べられ続けているようなのである。
 しかも、今では蒟蒻という名称も消えてしまい、今は磨芋豆腐(もーゆーどうふ)、もしくは雪磨芋(しゅえもーゆー)というのだそうな。四川の中でもごく僅かな人にしか食べられていない上に、名称まで変わってしまっていたのでは、中国人に向かって蒟蒻料理は?と聞いても、わかるはずがないのだ。
 本家の中国では殆ど普及せずに、極めてごく一部の人にしか食べられることのないままだったコンニャクだが、それが日本に伝わると大変な人気になり、栄養も味もないのに日本全国で様々な食べ方が広まった。さらには1年中いつでも食べることができるように乾燥させて粉末にすることで持ち運びを簡単にすると同時に、乾燥させているので腐る心配が無くなり、長期保存ができるようにした。この結果として、真冬の正月に蒟蒻料理を全国で作って食べるということがあたりまえとなったのだ。
 さらに、遙かな昔に中国の四川という辺境の地域で食べられていたものが、中国人にさえ殆ど知られていないはずのものをいったいだれがどうやって日本という島国に伝えたのか。当時は、中国から日本に来るということ自体が極めて困難な状況にあったはずだからだ。特に、四川というのは南シナ海から遠く離れた急峻な山岳地帯で、当時は歩くか馬かロバに乗るしか交通の手段がなかったはずで、こうした歩きが主要な交通機関だった時代に海から遠く離れた山奥から、大変な長い道中を様々な困難を乗り越えて、あえて味も栄養もないコンニャクというものを日本に持って行こうと考えた人がいたというのも不思議といえば不思議なことだ。お茶のように栄養はないが薬効があると言うことならまだしもだが、コンニャクには薬効などなにもない。ただ、食感が「珍トス。」でしかない。
 そのようなモノを日本という当時の四川からはとんでもない遠国の島国に持って行ってどうするのか、とは思わなかったようだ。
 さらにいえば、中国人の殆どから全く顧みられないような極めて特異な食品なのだ。そんなモノを生きた芋の状態で中国の四川という辺境の地から持って行って、相手に気に入られると思っていたのかどうか。
 味も栄養もないだけではない。そのままでは食べることができずに、大変な労力をかけてあく抜きをしないと食べられないものなのだ。そのような相手に気に入ってもらえるかどうかが極めて疑わしいモノを、四川の山奥からはるばる日本まで持ってきた人の心理が知りたいものだが、中国人でさえ食べたいと思う人は極めて稀なのに、日本に持ってきてみたら大歓迎となり、中国以上に人々に受け入れられ、食べられるようになったのだ。
 もちろん、栄養も何もなく、薬効も何もないと正直に言ってしまったのでは誰も相手にしないので、身体のよけいなものを取り出してくれるという効果があるというようなことを言ったのだろう。ほんとうにそんな良い効能があるのなら、中国人は勿論、ビルマやネパールなどにも食文化が広がっていそうなものだ。なにしろ、四川は日本よりビルマやネパールの方がはるかに近いし、地続きなので行くのも日本と比べたらはるかに簡単だし楽だ。
 おそらく、ビルマやネパールなどの周辺国にも持って行ったし、中国の四川の周辺の地域にも持って行ったのだろう。所が、どこの地域の人々も全く関心を示さないままだったのに、なぜか日本人だけが大きな関心を示し、全国的に広まって、今にまで継続して作られ、食べられ続けている。
 もし、蒟蒻が西晋時代に日本に伝わったのだとしたら、1700年も昔のことになる。よもや、そんな昔に遠い将来に豊かな国では飽食となり、コンニャクがもてはやされるようになるなどとは思いもしなかったことだろう。それなのに、どうして…。
 全く以て、不可思議としか言いようがない。
 








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