中国と韓国の違い




2023.02.06.





 snsでは中国と韓国は同じという前提で批判をしている人が少なくないのだが、こうした人は中国と韓国のことを何も知らないのだと思われる。
 中国は千年以上もの間韓国の宗主国であったと言うことからなのだろうが、韓国は中国に不満を持ってはいても日本に対してほどに強い態度には出ない。戦後だけでも中韓双方の日本に対する対応は全くと言って良いほどに違っている。
 戦後の韓国は、日本に対して嘘を言い続け、日本によって多くの損害を受けたので、損害賠償を払うように言い続けてきた。戦前に日本によって作られた様々なインフラなどは莫大な金額に上るが、そうしたものの全てを放棄するように要求しただけではなく、かってに李承晩ラインなどという国際的に認められていない線を引いて、李承晩ラインを超えた漁船などを片っ端から拿捕をすると言うことをし、高額な漁船を奪っただけではなく、漁船員を解放するのに莫大な金銭を要求すると言うことをしてきた。さらに、竹島を奪っただけではなく、慰安婦問題や徴用工問題を日本に突きつけ、賠償要求を続けてきた。
 慰安婦の多くは今も元気で70歳代のものも少なくないのだが、勿論70歳代では日本軍が朝鮮半島にいた頃には生まれていないことは子供でもわかることだし、徴用工問題にしても被害者と称する男が先日韓国で徴用工問題を話し合っている演壇に駆け上がろうとして引き戻されていたが、何度も演壇に飛び上がろうとする姿を見て、いったいいくつなんだろうと思わずにはいられなかった。戦争直後に20歳だったと仮定しても、97歳か98歳になっているはずだが、誰が見ても100歳に近い老人には見えなかった。
 そもそも徴用工というのは、韓国特有の話ではなく、日本人全体が戦時中には徴用工として働いていたのであって、日本の植民地だった朝鮮半島からは、たくさんの人が働きに来ていたのだが、そうしたお金目当てに働きに来ていた者の全てが日本によって強制的に働かされたと言って損害賠償を要求し続けている。
 しかし、日本の敗戦によって、日本および日本人の私有財産、投資資金、工場設備やインフラなどの巨額な資産の全てを米軍が接収して韓国に委譲したが、そうしたことに対して韓国人は当然という感覚であり、意識だ。
 1899年のハーグ条約では、占領軍が占領地の私有財産を没収することはできないと定められているにもかかわらず米軍は条約を無視して韓国に日本の私有財産を譲り渡したのだ。そして後にアメリカのポチになった自民党によって、日本政府の方から日本人の私有財産の保全に対して取り下げを行っている。
 日本と韓国は戦争をしたわけではないので、日本に戦後賠償責任は生じないにもかかわらず馬鹿な自民党政権は、韓国に惨めなまでに甘い態度を続けてきたのだ。
 とにかく、日本政府があまりにも馬鹿すぎる対応を続け、韓国の言うがままになることを良いことに、韓国人は嘘を並べ立てては日本批判を続けてきていた。こうしたことに対して日本のマスコミの殆どが韓国寄りの対応を続け、いったいどこの国の人間なのかと言いたくなるほどに日本批判を続ける日本のマスコミの態度を追い風にして、韓国人は謝罪要求だの賠償請求を戦後一貫して言い続け、未だに日本に謝罪要求をつき続けているのだ。
 ただ、さすがの日本の馬鹿マスコミも、慰安婦問題で解決済みとしたにもかかわらず、韓国の政権が文在寅に変わるとまたもや慰安婦問題を蒸し返してきたことで、韓国べったりだった日本の馬鹿マスコミもこれにはさすがに呆れたと見えて、韓国寄りの姿勢を変えたようだが。

 こうした韓国という恥知らずな国とは違い、戦後の中国は日本に対して全く違った対応を取った。今の若者は全く中国が戦後何をしたかなんて知らないので、中国と韓国を一体であるかのような言動を繰り広げているのだろうが、無知を前提にsnsなどに書くことは大きな問題だと思うので、あえて戦後中国がどのような対応を取ったのかを書くことにした。
 中国と韓国が戦前に日本軍によって受けた被害は全く違うと言うことをあらかじめ言っておかなければならない。日本から韓国に過酷なことをしたという事実は殆ど無い。そもそも日韓は戦争をしていないので、紛争による被害などあろう筈が無いのだが、韓国はあると言い張っているが、殆どが嘘か極端に誇張されたものだ。
 ネットに日本生まれの在日3世と名乗る人物が韓国に住んでみて、そのあまりの嘘の多さに驚いたと言うことを書いているが、嘘を嘘だと指摘すると韓国人は激怒するのだそうな。

 これに対して、中国に対しては日本軍は戦争を仕掛け、とんでもない被害をもたらし続けた。まさに、今のウクライナで行われているのとそっくりなことを、日本軍は中国大陸で行っていたのだ。
 しかも、今のウクライナよりももっとたちの良くないことを日本軍は中国大陸で行っていた。最も有名なのがたくさんの中国人を人体実験の材料として使い、たくさんの人をモルモットのようにして殺したことだ。そして終戦が近づくと、生き残っていたマルタと呼ばれていた中国人の被害者たちを証拠を消すためという理由で残虐に殺した。
 このほかにも南京での虐殺が有名だが、日清戦争の頃から各地で日本軍は無差別に中国人を虐殺すると言ったことを繰り返してきたのであって、南京だけの問題ではないのだ。馬鹿は、南京での虐殺など無かったと言い張っているが、南京だけの問題ではなく様々なところで虐殺を繰り返し、その被害を受けたところには立派な記念碑的な廟が建っていたりするのだが、圧倒的多数の本を読まない日本人は、そうした事実を知らないのだ。
 このように日本軍は中国大陸で暴虐の限りを尽くしてきたのだが、こうした極めて非人道的な行為に対して、戦後中国は賠償請求を放棄する、と言明した。
 まさに、やられてもいない国が執拗に賠償請求をし続けているのと対照的に、実際にとんでもない被害を被った国が賠償請求を行わないと宣言したのだ。
 私のように戦後生まれの人間がこのように言っても説得力が無いと思われるので、実際に戦争を兵士として体験した作家であった司馬遼太郎氏が戦後中国が行ったことに関してコメントしていることから、司馬さんの書いたものを下に転載したいと思う。

「1955年前後から数年間、国家の組織をあげて、軍国主義時代の日本を恨むな、ということにつき、徹底的な民衆教育をしたことがある。
 国民党の蒋介石もまた、本土を捨てて台湾に行って早々、
 −−−暴に対しては得を持って酬いよう。
 と言ったことは有名である。しかし、新中国のほうも、政権成立後、ほどなくそのことについての教育を行った。しかも、徹底的にやった。大陸全円に対し、草木にまで語るほどの綿密さで行い、時には、マン・ツーマンのような形で指導した。しかもその事実については公式に1度も発表していない。
 たとえば、上海地区が最も日本の侵略による戦災が甚だしかった。昭和7年(1932)日本軍は中国東北地方全域を武力占領し、同時に、上海で日本人僧侶が傷害される事件が起こったのを口実とし、陸戦隊を上陸させ、中国軍と交戦し、かつ航空隊は無差別爆撃を行い、次いで日本陸軍が上陸し、いわゆる第1次上海事件が起こった。5年後の昭和12年(1937)日中戦争の開始とともに日本軍が上海方面に増派され、ついに杭州湾に大軍を上陸させるに至った。
 このために上海市民の多くは難民となり、殺傷されもした。この地区の人々で、今なお、両親、祖父母、叔拍(しゅくはく)を日本兵に殺された人が生存しており、当然、街全体として日本人への憎悪が蓄積している。
 この当時、北京の政府は国交回復以前ながら、日本からの各界の人々を中国に招いて各地を観てもらおうという異常な(というべきだろう)方針を立てた。観光外交と言うべきもので、1国をあげて他の1国に対して人々のレベルで招待と観光の外交を展開した例は、世界史にない。
 が、日本人旅行者が通行していて、どこかから石がとんでくるだけで、薄い金魚鉢のように壊れてしまう外交のあり方でもあった。
 このために、とくに上海地区には集中的に教育が行われた。その方針を体した幹部が、老若男女、あらゆる層に行き、人々の対日本人感情を吐き出させ、それに対し、政策上の倫理観の筋を通しつつ討議し、人々に納得させた。
 要するに、日本軍国主義が悪いのであって、日本人もまた中国人と同様、その被害者であり、決して悪くない、と言う論理である。
 −−−日本軍国主義が悪いというのなら、職業軍人だけは憎んでも良いのではないか。
 と言う質問があったという。
 それも憎むな、と北京の方針を説く幹部は言った。彼らは幼少の頃からそういう教育を受け、侵略することが愛国だと信じていたから、その人を憎むべきではない、と幹部は言う。(現に日中戦争に従軍した職業軍人も、この後、招待されたり、自費旅行を許可されたりして、その人それぞれの前歴に区別を設けたりしなかった。)
 この討議は徹底したものだった。
 −−−では、非戦闘員であった肉親を殺された者だけは憎んでも良いのではないか。
 と言う質問まで出た。それも憎むべきではない、と幹部は言う。戦闘は兵を狂気にするものだし、誰もが恐怖を持っている。その街に日本兵が入り込んで、窓から顔を出したものを射ったりするのは、恐怖がそうさせることで、悪いのは戦争である。その人ではない、というもので、こういう教育が終了してから、日本人への招待外交が始まったのである。
 私自身、最初に中国へ行って上海を訪問したとき、よほど緊張したが、ついに投石を受けたり、街のどこかから悪罵がとんでくると言うことがなく、その後もなかった。その後何十万という日本人が中国旅行をしたが、私が知る限りにおいて、そういう経験をした人の例はない。」

 司馬遼太郎氏は、上海に関することだけを書いているが、こうしたことは今のウクライナのように中国全土で行われたのだ。戦争なのだから当然だと言えばそれまでなのだが、南京では爆撃機による無差別攻撃をやったりして、悲惨な結果を引き起こしている。
 こうしたことに対して、中国政府は自国民に向かって批判も恨むこともするなと言ったのだ。今のウクライナに対して、ロシアを恨むなと言っているようなもので、驚嘆に値するような行為なのだが、そうしたありえないようなことを当時の中国政府はやったのだ。
 一見するとものすごく良い話のように感じられるが、おそらく、戦争直後の中国はとても貧しかったので、日本が酷いことをさんざんやった。日本軍は最悪だ。賠償をしろ!謝罪しろと、韓国のように言い立ててもたいした利益にはならないし、中国の大国意識が韓国のような姑息で賤民丸出しの対応をすることを許さなかったのだと思われる。むしろ、日本の戦時中の行為を許すことによって、引け目を持った日本政府からの技術援助や日本企業が中国に来て工場を作ってくれることを期待し、そうしたことを優先した方が得だと踏んだのではないだろうか。
 もちろん、中国政府としてはそうした思惑があったにしても、被害を被った一般の人々にとっては、内心はらわたが煮えくりかえるような思いがあったことは疑う余地すらない。
 そして、こうした中国政府の思惑はものの見事に実を結んでいる。その後日中国交正常化が成し遂げられ、ケ小平の社会主義を堅持しながら自由主義経済を取り入れるという政策が当たって、中国の経済が一気に向上した。この後に天安門事件が起こって一時的に中国の経済は下落したが、すぐに上向きになり、ケ小平が死去すると、次の主席に先日死んだ江沢民という大バカが権力を握ることになると、戦争直後に中国共産党を支配していた者どもが全て世を去ったのを良いことに、江沢民は日本批判を開始し、反日教育を始めた。南京での虐殺も言い始め、とんでもない数の被害者を世界に向けて発表し始めた。さらに、経済が日本を上回るようになると、戦狼外交と言った傲慢不遜な対応で世界各国と対峙することになってきたわけで、戦争直後の中国の対応には表向きとは裏腹な思惑が潜んでいたと考えるのが妥当だろう。
 中国のような共産党が支配する独裁国家では、その時々の最高権力者によって国の姿勢が大きく変わるので、江沢民や習近平のようなごろつきが最高権力者となると、国のイメージは一変してしまうのだが、それでも韓国の下劣さと比べたらどれだけましか知れない。
 習近平のような独裁者的な男が最高権力者となっても、中国は韓国のような薄汚い嘘まみれの言動を持って、日本批判を行うと言うことはしない。あくまでも、実際に被害を受けたことを大きく膨らませて批判をする、という程度にとどめている。
 こうしたことからも、中国と韓国は全く違う国であり、民族なのであって中韓を一体のような言い方をするのは間違っているのだ。


 








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