少子化対策について




2023.01.08.





 少子化対策については30年以上も前から言われ続けてきたのだが、自民党政権は全くと言って良いほど何もしてこなかった。少なくとも効果的な対策は全く打てないままどんどん少子化は進み、ついに年間80万人を割るという状況にまでなってきて、ここに来て急にとってつけたように政府は、少子化対策についていろいろと言い出し始めた。
 首相が異次元の少子化対策を発表する数時間前に、都知事が月に5000円を所得制限なしにばらまくと宣言したが、5000円もらえるのなら子供を作ろうと思う人は稀だろう。
 だいたい異次元の等と言うことからしてイメージが悪い。日銀による異次元の金融緩和によって日本経済は衰退し、多くの日本人の生活レベルが下がってしまったことに、自民党の政治屋どもは全く気がついてすらいないと言うことを示唆しているからで、お先真っ暗としか言いようがない。
 ま、ものすごい高給をあたりまえのように得ている政治屋どもに、庶民の生活を理解しろという方が無理なのかも知れないが。
 そもそも子供というのは、お金があるか無いかで産むかどうかを決めるものでは無いはずだ。
 昔、1940年から50年代には日本でも毎年たくさんの子供が生まれていた。当時は今とは比較にならないほどにみんな貧しかったのに、5人6人はあたりまえ、10人以上の子供が居る家庭も珍しくなかった。それだけの子供をどうやって育てたのかと言えば、今の馬鹿な親たちはありとあらゆることの全てを親が賄うと思っているのだが、10人以上もの子供を親が全て面倒を見切れるはずがない。子供たちは皆小さい頃から新聞配達をしたりして、できるだけ自分のことは自分でやると言うことをあたりまえのようにやっていた。親としても、たくさんの子供に普通にお小遣いなど与えられるはずもない。そうしたことを知っている子供たちは、自分の小遣いは自分で稼ぐと言うことをあたりまえのようにしていたのだ。さらに大きくなって、大学に通うようになっても、大学の学費などは夜はキャバレーのボーイやバーのカウンターの中でアルバイトをしたりして、自分で授業料から生活費まで賄うと言うことを当然のことのようにやっていたのだ。昔は今ほど大学の学費がそれほどかからなかったということもあるが、兄弟の多い家では自分で何とかすると言うことがあたりまえだし、そうしなければ生きていけないと言う状況でもあったからなのだ。そして、そういう兄弟がたくさんいるような家では、引きこもりのような者は出てこない。みんな懸命にその日を送っているというのに、自分だけ学校が嫌だから家に閉じこもっているなどと言うことができる筈も無いからだ。だいたい1人で閉じこもって等いられるはずがない。兄弟がたくさんいて、周囲でいろんなことをやっているという状況では、1人落ち込んでなんかいられるはずもないからだ。
 今でもアフリカでは、その日食べるものが無い。今いる子供は栄養失調で病院で治療を受けているというのに、それでもみんな次から次へと子供を産み続けることからもわかるように、お金があるから子供を産むなどと言う単純な話ではないのだ。
 中国でも、今の中国共産党が天下を取った頃の貧しかった時代には、中国の女たちは子供をどんどん生んでいた。当時は経済的に厳しいという状況だったのに、国民は子供を産み続ける。こうしたことに危機感を強めた中国共産党は、1組の夫婦に子供を1人しか産ませないという強攻策を採った。いわゆる一人っ子政策だが、しかし、近年人口減少が進んでくると、共産党は一人っ子政策を見直し、2016年にようやく2人目を産むことを認めたがさほどの効果は無く、21年に3人目の出産が認められたけれど、もう、かつてとは比較にならないほどに豊かになった中国社会では、殆どの女たちは2人すらも産もうとしなくなってしまった。
 こうしたことからもわかるように、女というものは豊かになればなるほど怠惰になり、子供を産みたがらなくなる生き物なのだ。
 私の親戚に医者がいるのだが、1940年から50年代に、当時みんな貧乏人が5人も6人も子供を普通に作っていた時代に3人しか子供を産まなかった、と言うのを見たときに、お金があるから子供を作るわけではないんだ、と思ったものだが、その3人の子供たちは医者になったにもかかわらず1人か2人しか子供を産まなかった。
 これは、人口減少はお金のあるなしの話ではないと言うことを示唆している。
 お金を国や自治体がいくらばらまいたところで、人工は増えやしない。むしろ減る可能性の方が高い。
 要するに、豊かな時代に生まれ育った女に子供をたくさん産めと言っても無理なのだ。彼女たちの多くは、子供の面倒を見る位なら豊かさを謳歌したいと考えているから。
 昔の日本や中国でも途上国でも皆そうなのだが、貧しい状態の国では女たちは子供を産むのに損得で考えたりしない。男女が愛し合い、妊娠したら、それを自然の摂理として受け入れていたのだ。所が、国が豊かになってくると、2人目は産みたくないとか、3人なんて経済的にとても無理などと言って、子供とお金を天秤にかけると言うことが当たり前という意識になってしまう。
 だからといって、女たちの意識が昔のようになるために、日本がかつてのように貧しくなるのを待つというのもばかげている。
 子供を産みたくないと考えている日本の女に子供を産むのを期待しても無駄だろう。産みたくないと思っている多くの女たちに向かって、月に5000円をあげると言ってもだめに決まっている。子供何度ほしくないと思っているものに産むことを求めるのは現実的ではない。日本人の女たちに期待を持てないのであれば、逆に、豊かでない国で生まれ育った女を日本に呼べば良いのだ。ベトナムやカンボジアと言った国の庶民は貧しい生活を余儀なくされていることから、日本で働くことを無条件で容認すると言えば、喜んで日本に来るのではないだろうか。
 日本では、女が男に対する要求が厳しいために、結婚願望はたっぷりとあったとしても女が要求する条件を満たさないために、相手にしてもらえずに結婚できないでいる男がどっさりといる。
 小泉政権の頃に大幅な労働に関する規制緩和を行った結果、非正規で働かざるを得ない人が急増した。非正規は安いお金で長時間労働をさせることができる上に、景気が悪くなれば簡単に首を切ることができると言うことから、企業経営者としてはこんなありがたいことはないということでどんどん非正規を増やし続けてきたのだが、当然のことながら非正規の男と結婚して子供をと考える女は極めて稀だ。給料は安いし、いつ首を切られるかわからないような男を結婚相手に考える女は、今の時代では滅多にいるはずもない。小泉政権が規制緩和をし、企業経営者が非正規を増やした結果、結婚できない男が増え続けた。結婚自体が消費を増やす要因なのに、その結婚を抑止する政策を行ったわけで、消費は減るし、結婚が減れば当然出生率が下がるという皮肉な結果を生んでいる。自民党政権としては、経済を考えた上で規制緩和を行ったのかも知れないが、結果から見れば経済は全く良くならなかったばかりか、少子化に拍車をかけると言うことになってしまったのだ。
 結婚できない男が増えれば結婚しない女が増えるということになり、しかも、子供は要らないと考える女が激増したことから、例え結婚をしたとしても子供は産まないと言う女が増えることになってしまった。
 近年子供を持ちたくないという女が激増したことから、50歳代の女の27%が子供を持ったことがないと言うことになり、世界でもこの数字は突出しているのだという。こうした女は、自分は年を取って最後には老婆になるのだというあたりまえのことが頭にないらしい。ごく1部のものだけがそう考えるのであれば社会的な影響は少ないのだが、3割ほどもの女が子供を持ったことがないと言うことになると、その影響は計り知れない。しかも、こうした傾向は年々歳々強まっているのだ。
 多くの子供を持たない女たちによって子供の数が減ると言うことは、若者が減って老人が増えると言うことにもなるわけで、その老人を誰が支えるのか、ということになる。今でさえも年金は危機的な状況にあるというのに、なにしろ1人の老人を2人の現役世代が支えているという厳しい状況なのだが、今の40代が70−80代になったときには1人の現役世代が1人の老人を支えると言うことになるわけで、そうなれば消費税を30%位に上げないと年金の支給は無理と言うことになるだろう。若い世代によって支えられている年金なのに、若い世代が激減したら年金の支給は引き下げられることは確実だし、税金は大幅に上がるという老人にとってはきわめて暮らしにくい世の中になることはほぼ確実なのだが、殆どの女たちにはこうした現実は意識にないし、ぼんやりとは感じてはいても自分とは関係ないと思っているのだろう。

 少子化対策については、一つには正規社員を増やすことだが、大企業や役所ならやろうとおもえばできるのだろう。でも、中小企業では難しいというのではないだろうか。大企業や役所に勤めることができた幸運な人は日本人全体のごく一部に過ぎず、圧倒的多数は中小零細企業に勤めているわけで、そうした状況で非正規を大幅に減らすなんて無理なのだろう。そうであるのなら、非正規の男でも結婚して子供を産んでくれる女を国外から呼ぶというのが手っ取り早い解決法なのではないだろうか。東南アジア諸国の比較的貧しい国から来た女であれば、日本の女ほど男に対する要求は厳しくはないはず。
 女が働きたいと思うような職場。日本で人手が圧倒的に足りないという看護関連や介護、ウェブデザイナー、システムエンジニアも以外と女には人気のある職業のようなのだが、こうした日本で人手不足であると同時に女が好んでつきたいと思うような職業に、日本で働きたいと思っている外国人に対しては、特例としてたいした規制を設けずに入国を認めるというようにすれば良いのだ。
 日本が好きで、日本に居続けたいと言っている人を、強制的に刑務所と大差の無いところに長期間閉じ込めて、病気になっても治療もさせずに殺してしまう。こんな国がまともな国と言えるだろうか。外国人であろうが、日本国内で働いて消費をし、税金も払ってくれるのであれば、日本という国の経済に寄与してくれていることになるはずなのに、とにかく外国人は日本にいてもらいたくないという考えに凝り固まっているのがおかしいし、奇妙な発想だ。
 日本政府の馬鹿なところは、日本で人材が足りなくて困っているという職場に、技能実習生のようにものすごい条件を厳しくして、日本国内に留まり続けることができない制度にしていることだ。そして技能実習生の場合には、重労働を長時間課したり、給料を支払わないようなとんでもない悪質な会社を辞めて、他の会社に移ることを認めないので、悪質な会社の経営者はやりたい放題なのだ。こうした現代の奴隷制度と言われるほどに過酷な条件を技能実習生に課すのを止めて、会社を辞めるのを認めないのではなく看護なら看護と介護といった業態限定にすれば良いのだ。決まった業態の範囲内ならば会社を辞めて他の会社に移ることは問題ないとすることは、人道上からも当然なことのはずだ。
 今の技能実習制度のような馬鹿げた政策を改めて、20歳代の女に関しては、特例として規制を設けずに入国させ、制限無く日本に居続けることを認めるというようにすれば、それが長い目で見れば少子化対策にもなるのに、入国は冷酷非道な法務省入国管理局が行い、仕事や子供については厚労省が、と言う縦割りの弊害が、こうしたところにも出ている。
 

 少子化については、省の垣根を取っ払って真剣に考えないと、この国は住みにくい国になるだけではなく、多くの識者が言うようにほんとうに滅んでしまう。


 








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