武士の家計簿2


2021.12.13


 猪山家の俸給は猪山信之が知行70石、嫡子の直之が切り米40俵である。
 結論から言うと、猪山信之の年収は銀1321.3匁であり、直之の年収は銀1754.89匁であった。合計で銀3076,19匁。
 江戸時代の藩士は知行地を与えられると、あがりとして年貢米と夫銀というのが手に入る。知行70石の場合玄米22石と銀34.3匁が懐に入った。
 年貢米は年2回に分けて支給される。6月初旬に10石。10月初旬に12石である。しかし、猪山家の家計簿を見ると、中勘と称して分割・前倒しで支給を受けている。
 夫銀(ぶぎん)というのは労役を徴収していた頃の名残で、銀で代納されるものである。これは年貢米と違って、春と秋の2回、知行地の百姓が直に猪山家に持ってきたようである。
 猪山家では、嫡子の直之も俸禄を取ってきている。切り米40俵。
 現在米俵1つは4斗入りが常識だが、江戸時代には米俵1つに3斗5升の米を詰めるところもあったし、3斗3升しか詰めないところもあった。幕府の制度としては3斗5升であった。旗本御家人に支給される米俵には玄米0.35石が詰められていた。所が、加賀藩士に支給される米俵には、1俵に5斗も入れていたのである。
 猪山直之の切り米40俵は、玄米20石の収入になった。
 直之の収入が父の信之よりも多いのは、盆と暮れに拝領金という賞与があるためで、金8両という大きな金額である。1両1.111石として、玄米に換算すれば8.888石にもなる。これは直之が「中納言様御次執筆役」と言う要職に就いていたからである。これを入れると直之の年収は米で28.888石になる。父の信之の年収は22.5石であったから、猪山家の年収は51.388石になる。1石は150Kgであるから、猪山家の年収は玄米にすると約7.7tと言うことになる。これを現在の貨幣価値に直すとどれくらいか。現在の玄米7.7tは200〜250万円ぐらいになるだろう。これだと低所得世帯と言うことになるが、猪山家の生活を見ると、召使いを2人も雇って家に住まわせているのである。このことから単純に米の価格を前提に考えたのでは、現実からかけ離れたものとなってしまう。現在よりも江戸時代のお米は遙かに価値は高かったと言うことなのだ。
 当時、腕の良い大工は日当5〜6匁。現代こうした大工を頼むと日当2〜3万円くらいかかるだろう。地方都市では銀2〜3匁程度。現代なら、大工の見習いには1万円前後は払わなければならない。と言うことは、銀1匁は4000円くらいの価値になる。天保14年の金沢では金1両は銀75匁であったから1両は約30万円になる。
 金1両30万円、銀1匁4000円とすると、猪山家の年収は、現在の価値にすると信之が530万円。直之が700万円で合計1230万円と言うことになる。

 これだけの収入がありながら、猪山家は多額の借金を抱えていた。
 天保13年猪山家の負債額は銀6260匁になっていた。しかも、この借金は利子が高い。年利18%と言うのが最も多いために、年に1000匁を超える利払いが発生していたと思われる。こうなると、利子だけで年収の3分の1が消えてしまう。まさに、猪山家は借金地獄に陥っていたと言って良い。
 江戸時代の武士が借金を抱えていたことはよく知られている。大名や旗本は裕福な商人から借金をして権威を失墜させていった、と言うことはよく知られた話しだ。しかし、一般の武士は誰からお金を借りていたのか。
 猪山家の債権者の顔ぶれを見てみると、1に町人、2に藩役所、3に親類や家中の武士たちに借りていた。一番多いのは町人で、半分近くを町人から借りていた。意外に多いのは家中の武士からで、これが4割にもなる。
 江戸時代の裁判制度は「金公事」を処理するようにはできていない。幕府や藩は、金融を巡るトラブルが自分の所に持ち込まれないようにという態度で、そのような裁判制度にしていた。そのために町人が武士に対する借金の取り立てのトラブルが発生しても、御上に訴えると言うことができない。こうしたことから町人は、武士に対しての取り立ては殆ど不可能なので、高額なお金は貸したがらない。このために、武士は武士同士の間で貸借関係をせざるを得なかったようだ。同僚や親戚などお互いに知った者の間でお金の貸し借りをしていた。この場合も利子は高く、年に18%もの利子を取っていたのである。
 あまりに借金が多くなったので、猪山家は一大決心をしたらしい。天保13年の夏に借金整理を決意した。
 猪山家は借金整理を決意すると、家族会議を開いて所持している財物を売り払って借金を返すと言うことを決めた。とにかく、利子の支払いだけで家計がパンク状態だったので、家族全員がこれに同意している。
 猪山家は、お盆の支払期日が迫っているということもあったからだろうが、猛烈に家財道具を売っている。売った総額は銀2563.92匁。現代の金額で1025万円にもなる。中古の古い家財を売って、これほどの金額が算出されたと言うことは、新品であったら大変な金額に相当する家財があったということでもある。
 売却リストには、それぞれの持ち物が載っていて、
 直之44品目841,75匁(衣類635 食器3.37 書籍140匁 家具59 他4.38)
 信之24品目812.17匁(衣類35.56 茶道具424 食器270.61 家具7 他75)
 妻13品目713匁(全て衣類)
 母7品目197匁(全て衣類)
 合計88品目2563.92匁
 直之の妻は町同心・西永与三八の娘であるが、婚家の難局に対して献身的な努力をしている。嫁入り道具の衣装を徹底して売り払っているのだ。婚礼衣装と思われる「地黒小袖」「紅縮緬小袖」は高値で売れ、借金返済に大きく貢献している。
 また、父信之は茶道具を諦めている。茶道具や食器は家付きの財産であったようで、父信之のものになっていた。金沢は加賀蒔絵の町であり「姫君様付」の職業柄か、猪山家には蒔絵の器や道具があり、これもお金になっていた。
 直之は書籍を諦めたようである。江戸時代、本はべらぼうに高いものであった。特に高く売れたのは四書五経のセット。55匁なので22万円くらいになる。猪山家は御算用者の家なので、和算の本があった。「鹿劫記」と言う本である。しかし、これは二束三文で売られている。
 こうして売れるものは全て売り、文字通りスッカラカンになった。本を読むにも机は無い。行灯も無い。そもそも本は売ってしまった。衣類を売ってしまった猪山家の人々は、着た切り雀になり、家財道具の無くなった家の中を涼しい風が吹き抜けるようになった。
 作者は着た切り雀と書いているのだが、おそらく、日常的に着ているような木綿の安物は、元々たいした金額でも無いので売ってもお金にならないと言うことから売らなかった可能性が高い。売ったのは、普段着ない豪華な絹のお召し物ばかり。だから、逆に、普段着るようなものは残っていたので、着た切り雀と言うことは無かったものと思われる。




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