天皇について2




2020.10.22.


 馬鹿なマスコミは天皇のことを持ち出す際の常套句として、「日本の国際法上の皇帝は徳川将軍であったが、しかし、徳川家は天皇から政治外交を委任されていたのであって、日本国の元首はあくまでも天皇である。」というものだ。
 馬鹿なマスコミは、こうしたことを当たり前のことであって既定の事実であるかのように言い、圧倒的多数の愚かな民衆は、馬鹿なマスコミの言うことをなんの疑いもなく事実として受け入れている。
 しかしながら、これは幕末における思想のひとつであったのだ。思想というのは、明確な根拠があってのことでは無く、ただ思想家が考えたものでしかない。妄想と紙ひとえのものだ。それでは一体誰がこのような妄想を言い出したのかというと、最初に言い出したのは水戸藩の学者であった。これを吉田松陰というきわめて風変わりな男が思想として体系化したのだ。
 吉田松陰と言っても殆どの人は名前くらいしか知らないだろうが、驚くべき風変わりな人物であった。人を疑うと言うことを知らずに、天衣無縫の子供のような人だった。そのわかりやすい事例としては、黒船が来航したと言うことを知ると、アメリカに渡ろうとして黒船に乗り込んだのだが、黒船の乗員に拒絶されて失敗をすると、自ら自首して出たというありえない馬鹿で、役人が気を遣って黙って帰るように促したのに、自分は禁を犯したのだから捕縛するようにと言って強引に捕まることを強要したのだ。
 いったいなにを考えているのかとしか言いようがないのだが、希望通りに捕縛されて、幕府の取り調べを受けた際には幕府の役人に向かって幕府を倒して新たな革命政権を作らなければならない、と言うようなことを蕩々と述べたのだ。
 自分の持論を述べることは悪いことではないが、幕府のお役所であるお白砂に引き出され、取り調べが行われている最中で、役人に向かって釈明をしなければならないと言う状況にあるときに、幕府を打ち倒してなどと言うか、ということがある。それこそ、目の前で自分を裁こうとしている幕府の役人に向かって、あなた方の生活のよりどころをなくさなければならないと言っているのと同じだ。
 それこそ現代で言えば、犯罪を犯した人間が裁判所に出廷したさいに、日本の現政府を打ち倒して新たな革命政権を樹立しなければならない、と訴えているようなものだ。現在は、民主主義の時代なのでなんとでも言えるが、江戸時代は徳川家による封建制度の時代だ。皆、徳川家を上様と言って恐れていた時代だったのだ。
 作家の司馬遼太郎は、これはもう狂気としか言いようがないと言っているが、それで幕府の役人を説得できたと思い込んで、近いうちに自分は釈放されるだろう、などと手紙に書いている。どこまで自分勝手な理想主義の中に生きている馬鹿なのかと思うが、勿論釈放などされるわけがなく、幕府の役人によって死罪が確定し、処刑されている。
 人間的にはもの凄く親切で優しくて良い人なので、最初は彼の元に子供が集まってきて、やがては若者もたくさん彼の元に集まってきたのだが、考え方としてはもの凄く過激で、今であればイスラムの過激派の宗教家のような存在だったのだ。言うまでもないことだが、明治政府の中枢に居た長州出身の人物の多くは吉田松陰の門下生でもあった。
 吉田松陰の門下生であった者どもが明治維新以降師の教えを世に広めようとした訳だが、こうしたことは、明治政府による典型的なプロパガンダでもあるのだ。
 吉田松陰と言う信じがたいほどに独善的で奇妙な人物がまとめた思想を、あたりまえのように言うというのは、いかにマスコミの言うことは当てにならないかと言うことの証左でもある。
 そもそも薩摩長州は、徳川政権を倒すために天皇を道具として利用したに過ぎないわけで、そのために「尊皇攘夷」という大義名分が必要となった。
 しかし、これは、あくまでも大義名分に過ぎない。
 薩摩長州のリーダー層が純粋に尊皇精神をもっていたかとなると、幕末動乱期の行動、手法が明白に示す通り、そういう精神は微塵ももち合わせていなかったとみるべきだろう。
 その最もわかりやすい例が、前回書いた天皇の暗殺だ。
「尊皇攘夷」を方便として喚き続けているうちに、そうした考えに酔ってしまい、「王政復古」を唱え、何でもかんでも「復古」「復古」となり、大和朝廷時代が本来のあるべき姿であると思い込んでしまったのだ。
 その結果、寺を壊せ、仏像を壊せ、経典を焼け、坊主を成敗せよ、となって、廃仏毀釈という暴挙が日本全土を覆い尽くすことになってしまったのである。
 このように天皇制というのは、明治政府によって天皇を利用するためにはなりふり構わないという状況の下で、明治時代によって作られたものなのであって、江戸時代には誰も天皇なんて知らなかった。知っているのは極めて僅かの特殊な人々でしかなかったと言うことすら知らない馬鹿者が圧倒的多数なので、話がおかしくなる。
 明治政府によって作られた様々な天皇を神格化するために作られた話を、未だに信じている愚か者がマスコミの中にも多数いる。
 最も有名なのが、錦旗の御旗を見た幕府軍が総崩れになったというものだ。
 しかし、普通に考えてテレビも新聞も週刊誌も何もない時代に、どうやって天皇を知ることができたというのだろうか。京都の田舎にひっそりと暮らしていた天皇のことを一部の者は知っていたかも知れないが、幕府の侍が皆知っている筈がない。まして、戦場の最先端で戦っている最底辺の者どもなど、天皇家の歴史などを知るはずが無い。
 それほどまでに錦旗が力を持っているというのであれば、遙かな昔に後白河上皇が平家との合戦の際に錦旗を使っていたはずなのに、何の効果も無かったのはなぜか。
 平家の武人達は皆天皇のことを良く知っていたはずで、当時の天皇は幕末の天皇とは比べものにならないほどの権威を持っていた。それなのに錦旗は何の役にも立たなかったのだ。
 また、錦旗がそれ程の力を持っていたのなら、戦国時代という戦乱の世が長く続いたのはなぜなのか。戦国時代に錦旗を振り回してみたところで、ふんどしを振り回しているのと何も変わらない。それは幕末にあっても同じに決まっている。

 要するに、明治政府が作ったでたらめな話を、NHKを始めとした愚かなマスコミが真実だと思い込んで長年にわたって放送を続けてきていて、テレビ局の言うことに全く疑念を挟もうとしない愚か者が圧倒的多数だと言うことが問題なのだ。
 明治政府は政を行うに際して天皇というものが必要だったから、必死になってあることないことを誇大に宣伝して、天皇の権威を高めることに躍起になっていたのだ。
 しかし、今は明治政府ができた頃とは全く状況が違っている。従って、かつてのように、天皇家を天皇制がなかった頃の状態に戻してあげるのが最善と考える。
 その方が天皇も肩の荷が下りて助かるし、喜ぶに違いない。
 天皇というのは、自分がなりたくてなるものでは無く、その家に生まれたと言うだけで全く何の自由も無いと言う状態を強いられるのだ。1日24時間絶えず他人の目があるという状態。
 毎日天皇としての様々なおつとめがあり、公務も続けなければならない。
 自分がなりたくてなったのならまだしも、その家に生まれたと言うだけで全くと言って良いほど自由が無いばかりか、馬鹿者どもが勝手に描いた天皇象に従わなければならない。
 最近になって、女も天皇になれる道を探るというようなことが、自民党のアホどもの考えで勧められているようなのだが、天皇家に生まれた女たちにしてもあんな窮屈な生活をしたいと思うものは稀だろう。
 なぜ、自民党のアホどもは明治時代の遺物に固執しようと考えるのか。全く以て、時代錯誤だし、余りにも頭が固すぎる。









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