天皇について




2020.10.04.


 私は見なかったのだが、最近テレビで田原総一朗が天皇についていろいろと述べたらしい。それについてネット上では愚か者が田原総一朗を盛んに非難しているが、この非難している連中というのは、天皇のことをどれほど知っていると言うのだろうか。
 彼らの天皇に関する知識なんて、テレビで時折天皇に関することを言っているが、こうしたことが全てだろう。

 天皇を日本国民が崇めるようになったきっかけは、明治維新にまで遡る。
 圧倒的多数の愚か者は、何千年もの昔から日本国民は天皇を崇め続けてきたと思っているようなのだが、そしてこうした考えは、明治政府が作った神話と現実を合体したようなわけのわからないプロパガンダとしか言いようのないものを真実と思い込んでいる極端に頭の悪い者によって作り上げられた幻想だが、多少なりとも頭があれば、そんな幻想が真実の筈が無いことくらいのことは容易に想像がつくことの筈だ。

 明治政府というのは、出来た当初、明治維新と言う革命が成就した直後のことだが、ものすごく厳しい状況にあった。
 現在の日本国民の圧倒的多数は、無知でなにもわからないまま天皇を崇めているが、そうした愚か者には到底理解できないことだと思われる。しかし、明治維新によって誕生した政府というものは、恐ろしく脆弱だったのだ。
 それこそ全国に数多いた大勢の武士たちの生活の糧である扶持米というものを、明治政府によって奪われてしまったために、生活の基盤を根底から奪われて不満の塊になっていた武士たちによって、明治政府という革命政府は何時ひっくり返されてもおかしくないという状況だった。
 実際、西郷隆盛が蜂起した西南戦争では、明治政府は何とかかろうじて持ちこたえたと言った有様だった。
 当時はマスコミも殆ど機能していなかったし、政府に不利な報道をしたらどのような悪影響が及ぶかわかないということもあったのと、そもそも当時のマスコミは今と比べたら有り得ないほどにいい加減で恣意的なことを普通に行っていたことから、新聞などはお上には逆らわないという長い間の江戸時代からの擦り込みもあって、政府に不利な報道をしないというようなことが当たり前のように行われていたのだが、もし、西南戦争が起こった時期に、今のような報道網が存在し、真実の報道が全国で行われるというようなことがあったなら、たちまちにして全国に数多いた不満を持った武士たちが一斉に蜂起して、たちまちにして明治政府は瓦解していたことだろう。
 また、西南戦争による莫大な出費によって当時の日本経済はがたがたになり、明治政府が出来た直後の通貨体制は金本位制を取っていたのだが、戦争による莫大な政府の戦費によって1円金貨は半分の大きさになってしまった。もし、もう一度日本のどこかで西郷のような男が立ち上がったら持ちこたえられない、という切羽詰まった大変な危機的な状況にあったのだ。
 そこで江戸時代には見向きもされなかったし、勿論国民の殆どが知らない天皇というものに縋ることにしたのだ。
 所が、明治政府が天皇と言ってみた所で、日本人の殆どが天皇のことを誰も何も知らない。
 あたりまえすぎるほど当たり前だが、江戸時代には幕府が絶対的な権限を握っていたわけで、しかも、テレビやラジオは勿論、新聞も週刊誌もない。マスコミと言えるものは江戸時代には街の事情を知らせる簡単な瓦版くらいしかなかったわけで、そんなものに天皇など載るはずがない。
 このような状況では、京都の辺鄙な所に貧しい生活をしていた天皇なんて余程特殊な知識人以外知るはずがない。それなのにまるで遙かな昔から誰しもが天皇を知っていたかのように馬鹿なマスコミが言うのは、明治政府のプロパガンダをマスコミに所属している者が信じ込んでいるからなのだ。しかしながら、マスコミの言っていることが嘘だと言うことは、ちょこっと考えてみればすぐにわかることでもある。
 殆どの日本人が天皇のことを何も知らないと言うことは、逆にどんなでたらめでも言えるということでもあるのだ。そこで明治政府としては国民に天皇というものを知って貰わないといけないと言うことから日清戦争を始めることにし、首都を下関に遷都を行い、そこに天皇を連れて行った。なぜ、その様なことをしたかと言えば、下関港から将兵を中国に向けて送り出していたからで、その際に天皇も顔を出して貰うことで天皇というものを国民に熟知してもらわなければならない、と明治政府の要人たちが考えたからなのだ。
 戦争という国民の全てが関心を持つ大イベントに天皇を参加をさせたことで、明治になってから続々と雨後の竹の子のように生まれてきた新聞に大々的に天皇を扱ってもらい、天皇というものを国民に知ってもらうことができたのだ。
 更に、廃仏毀釈などのまさにごろつき集団が政権を握ったらこうなるというようなとんでもない政策を次々と行っていき、天皇に対するプロパガンダが嵐のように国民の元に降り注がれることになった。
 圧倒的多数の愚か者は、天皇は遙かな昔から日本人全てに知られていたかのように思い込んでいるが、多少なりとも頭があるのならそんなはずが無いことくらいのことは容易に想像がつくことのはず。
 言うまでもないことだが、江戸時代は幕府が絶対的な権力を握っていたのだし、天皇なんて幕府にとってはどうでも良い存在だ。
 誰もが知っていることだが、江戸時代の幕府は絶対的な権力の下にあったことから、幕末までは江戸幕府に刃向かおうなどと考えるものなどいなかった。
 幕末に幕府を倒した薩長ですらその直前まで、幕府を異常なまでに恐れていた。具体的には吉田松陰が生きていた頃。まさに幕末前夜だが、この頃にはまだ薩長は幕府を草原で気ままに歩き回っている野放しの虎に出会った時のように恐れていたのだ。これに対して明治政府は、江戸幕府とは全く違っていた。明治政府の首脳の地位にいた者は、かつての下級役人の出身者ばかりだ。このつい先日まで食べるにも事欠いていた下級役人の小せがれが、江戸時代には側に近づくことさえ不可能であった殿様や家老、大老というものすごくえらい雲の上の存在だった人々の上に立って、命令を下すという立場になったのだ。
 江戸時代という封建制度の下で徹底した身分制度を前提とした社会で生まれ育った者にとっては、殿様やかつての重役達に指示を下すなどといったことを行うなどということはあまりにも恐れ多いことで、やりたくてもできなかっただろうし、そのような立場に立ったことについては、ものすごく居心地が悪かったに違いない。
 しかも、明治政府をつぶそうと企む者が全国に数多いるという状態だった。こうしたことの結果、西南戦争という内戦状態にまでなった。そこで明治政府の要人たちは、天皇というものを利用することにしたのだ。ただ、幕末の天皇である孝明帝は幕府を支持すると公言していたことから、倒幕の意気に燃えていた血気盛んな革命を志す若者達にとっては、幕府に恭順の意を公の場で表していた孝明帝は邪魔者としか写らなかったことだろう。そこで天皇の暗殺という手段を執ったと考えられる。
 孝明帝はまだ35歳の若さで、健康に何の異常も無かったのにたった1日で突然死んだのだ。一応病死と言うことにはなっているが、暗殺と思わない方が不思議だろう。まして殺したのが明治政府の中枢に居た人と言うことになれば、こうした人物をどれほど怪しいと思っても取り調べをすることなどできるはずがない。そんなことをしたら天皇の命を簡単に奪うような連中だ。そんなのに目をつけられたら、命がいくつあっても足りないからだ。
 なお、孝明帝を殺したのは、500円札の肖像画にもなっている岩倉具視だとされている。
 岩倉具視は、宮廷に出入りするのも比較的自由だった上に妹が天皇に直接使えていた。
 公家というのは、鷹揚に構えていてのんびりした印象を持っている人も少なくないと思うが、岩倉具視だけは違っていた。彼は権謀術数にたけていて、謀略が大好きという公家の中ではきわめて異例としか言いようのない人物だった。
 勿論、証拠は無いが、彼ならやりかねないし、若くて元気だった者が事故でも何でも無いのに突然死ぬなどと言うことは考えにくい上に、孝明帝の死に関するものには必ず岩倉具視が登場してくる。
 幕府に忠実な天皇を殺して、幼い明治天皇をかついで明治維新を画策したのだが、逆に言えば邪魔と思えば簡単に殺して替わりを立てることがいとも簡単にできた。それほど幕末期までの天皇というのは、取るに足らない存在でもあったと言うことなのだ。
 しかし、いざ明治維新という革命が成就し、明治政府ができた後は、江戸時代の吹けば飛ぶような権威も何も無いままの天皇ではいかんともし難い。そこでヨーロッパの王政を参考にして天皇制や皇室典範といったものを造り、天皇に対する寓話のようなもの。神話の時代からの嘘やはったりを愚かな民衆に事実と思わせることでものすごく強力な権威付けをし、ついには、現人神という神にまで祭りあげたと言うことなのだ。そして明治政府が行う政の全て、その後はありとあらゆることの全てを天皇の御名によって行うというようにしたのだ。
 こうした権威を異常なまでに高めた天皇の威光を笠に着て、かつての下級役人の小せがれどもが傲慢きわまりない権力行使を行うようになっていったのだが、まさに、虎の威を借る狐そのままだ。
 このような全ての権力行使、それこそ国民の命に関わるような重大事であっても天皇の御名ということで行われたために、誰が決定し実行したのかもあやふやになり、とんでもない無責任体制が構築されることになってしまった。
 この明治政府によって作られた天皇の権威を良いことだけに使うのであればまだしもだが、天皇の御名を自分たちにとって都合の良いように好き勝手に使い国民を意のままに動かすと言うことをしてきたわけで、政府にたてつく者は天皇に対する不敬罪などと言うレッテルを貼り、情け容赦なく処刑してきたのだ。
 さらに、日本軍は統帥権などという明治憲法の起草者である伊藤博文が考えもしなかった権力機構を編み出し、軍は統帥権の下にのみ機能するという建前によって、議会にも首相にも統帥権の権能は侵されないという絶対的な権力機構を編み出した。この統帥権という天皇直属の権能を最大限活用し、日本軍は日本国民を奴隷のように好き勝手に扱い、使役させたのだ。

 まだまだ書きたいことはあるが、長くなったのでこのあたりでやめておく。
 次回、また気がむいたら続きを書くことにしたい。








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